令和4年1月(No.462号)
城北クラブ



城北クラブのみなさま

新年あけまして

おめでとうございます。

 

本年もよろしくお願いします。

コロナも低水準で安定している

ようですが油断できない

1年になりそうです。

今年はいろいろな大会が再開する

のではないかと期待しております。

今まで通り、走って飲んで楽しい

1年になるよう祈っています。

 

昨年はコロナが充満している中、オリンピックが行われ、たくさんのメダルを獲得し日本の強さをアピールできた1年だったような気がします。しかし、オリンピックは無観客で直接、生で見に行けなかったり、街もオリンピック客で盛り上がるはずでしたが静かな繁華街でとても残念でした。昨年は大会自体がほとんど開催されなかったのでほとんどの人がヤキモキしていたのではないでしょうか。今年はコロナ患者も少なく安定してきているので昨年以上の練習ができると思います。大会も条件付きで開催されると思われますので皆さんも多くの大会に参加して自己目標をクリアして高成績を上げることを期待しています。

今年は冬のオリンピックが中国で開催されますが中国の人種差別の疑いで多くの国が問題視していたりコロナの新しいオミクロン株で世界中が騒いでいます。そんな情勢ですが城北クラブの皆さんは自分の意思をしっかり持って年間を通じて走り続けてください。

2022年 元旦  城北クラブ 安部武良

2月定例練習会(当日自由参加)

<日 時> 平成4年2月6日(日) 雨天中止 

<場 所> 城北公園陸上競技場 8時30分開始

 開催有無は新型コロナウイルスの感染状況により判断します。

 雨天中止時はホームページ掲示板に掲載します。(当日朝7時)

             https://9222.teacup.com/jyouhoku/bbs

 

第一回東京走友連合皇居親睦ラン

<日 時> 令和4年1月23日(日)

<場 所> 皇居桜田門時計塔前

<種 目> 5キロ(9時15分スタート)10キロ(9時30分スタート)

<参加費> 1000円 ※中止となってしまった場合の返金はありません

<申 込> 令和4年1月13日(木)(連絡先 植松宛:uematsu42195@nifty.com

当日は事前に体調管理チェックリストの提出があるため、1週間前からの体温や体調のメモ、そして集合は遅くともスタート時間の30分前迄には到着するようにお願いします。

 

12月定例練習会報告

令和3年12月5日 晴れ

<参加者> 安部・植松・石橋・伊丹・井上・浦・川井・岸場・酒井・佐藤(美)

・菅原(博)・田中・坪田・戸津・中村(大)・春本・広井・福島・古市・宮崎

・矢古宇(21名)

<練習内容>

 流し  200m×3本(REST 200)

 ショートインターバル 1000m×3本(REST 200)

 ペース走 3000m×1本

 

会報の電子化状況

会報の配信メンバーは現在39名です。

会報メール配信については、今後も随時受け付けますので、ご協力いただける方は植松までメール願います。(連絡先:uematsu42195@nifty.com

 

 

 

菅原富雄前会長の追悼文

王 肖剛

 

 菅原前会長の訃報に接した時、私は驚きました。菅原前会長はいつも笑顔で元気な方でした。70歳を過ぎて走っていた姿を忘れられません。80歳でご逝去されたことに私は驚きました。

 約20年前、私は初めて城北クラブに参加した時、友人の小関さんから菅原前会長のことをたくさん聞きました。彼はいつもチーム監督として駅伝レースに参加され、クラブ全員の記録をすべて覚えていらっしゃいました。

 たまにこのように声をかけられました。”2区の某君はあと2,3分でゴールしますので3区の方準備してください。”このような声掛はいつも百発百中で当たりました。

 

 クラブの多くのメンバーは彼に声をかけてもらって城北クラブに入会したそうです。彼は城北公園のトラックで走る方をよく観察され、多くの方をクラブに誘われました。

 

 菅原前会長が昭和時代から作られた城北クラブに多くの伝統を残してくださいました。

 例えば、毎月の会報です。三十年以上中断せず計400通を超える会報を編集されました。他にも、毎月の練習会、毎年の初走り、マラピック、クラブ内駅伝、総会などがあります。特に毎回の総会で配られたクラブのベスト記録表、1年間の全員の記録表を忘れず更新され、その記録表を基に最優秀選手賞、敢闘賞、新人賞を表彰されました。彼が選んだ受賞者はみんなが納得できました。

 

 菅原前会長の情熱が多くの方を引き寄せられました。奥様の真澄さんと前副会長の三瓶さんが一緒に差し入れのお酒と料理をたくさん準備してくださいました。私は真澄さんの煮つけ料理とマラピックのスイカが大好きです。

 

 菅原前会長は駅伝に人生を捧げていたようでした。走ることがお好き、可能性がある選手を見つけるのがお好き、良い選手を育てることもお好きです。

 

 時代は昭和から平成、さらに令和に変わりました。しかし、一つの道に専念することはどの時代でも素晴らしいです。現在、安部会長と植松副会長がすでに城北クラブの伝統、菅原前会長が作られた伝統を受け継いでいらっしゃいます。

 私を含むクラブの全員もそれらの伝統を守っていきたいものです。

菅原富雄会長との思い出

城北クラブ 古市貴浩

 

私が城北クラブに入会したのは20002月のことでした。入会したきっかけは、たまたま読んでいた読売新聞の夕刊でした。それまでは、仕事が終わった後に、職場の仲間と皇居を走り、たまに仲間と一緒にレースに出ている程度でしたが、当時は一人でレースに参加する勇気もなく、走ってみたいレースがあっても仲間が参加できないと自分も参加できなかったので、もっとランニング仲間を作りたいと思っていた頃でした。そんな時に、会員の募集記事を見たので、思わず応募してしまいました。

当時の城北クラブは毎年8月末にバス旅行を企画していましたが、そんなことは知らずに北海道マラソンにエントリーしていました。そんな訳でバス旅行に誘われた時もお断りしましたが、菅原会長から言われたのは

『お前なんかどうせ完走できないんだから、バス旅行に来い!』

※当時の北海道マラソンは制限時間4時間、私はそれまでにフルマラソンを9回走っていて、4時間を切ったのは1度だけでした。

結局、北海道マラソンに参加しましたが、北海道マラソン史上初の気温30度を超えるレースとなりましたが、当時のセカンドベスト3時間55分で何とか完走できました。菅原会長からの言葉で発奮して練習量を増やしたり、城北クラブに入ったことにより自分もレベルアップできたようでした。

城北クラブの練習会に参加したり、クラブで駅伝に参加したりするようになり、入会前は5km24分程度で走っていたのが、20分を切れるところまで走力は伸びてきました。この頃は、菅原会長ご自身も駅伝メンバーとして走っておられ、よく同じ区間で走ることがあったのですが、しばらく勝てませんでした。当時30歳代前半の私に対し、60歳近い菅原会長から言われたのは、

『お前にはまだまだ負けん!』

 それから何年前だったか、河原駅伝でAチームで走らせてもらったことがありました。当時のAチームメンバーがほとんど参加できず、繰り上げのような形でした。私は区間16位でしたが、他のメンバーの力があって何とかギリギリ10位入賞。翌年の総会で、他のメンバーに表彰状を渡していましたが、その後、私のところに来た菅原会長から言われたのは、

『本当は田中君(私)にあげたかったんだけど、このメンバーで田中君にあげたら他のメンバーから顰蹙を買うからあげられなかったよ、ごめんな!』

と私に気を使ってくれて優しい言葉をかけて頂いたこともありました。

 普段は口も悪く、厳しい言葉しかかけてもらえませんでしたが、時々優しい言葉をかけてくれた菅原会長。安らかにお眠りください。ありがとうございました!

菅原名誉会長との思い出

安部武良

城北クラブ発足

 

菅原さんと知り合ってからは練習をなるべく城北公園でするようになり、公園に6:20頃到着するとすでに練習が終わっていてグランドの隅で雑談をしていたような気がします。菅原さんはその当時、有名な選手が何人かいた入間市陸友会に所属していました。公園で何度もあっているうちに駅伝に出ようと選手を集めるようになり最初(1979)は『城北おはよう会』の名で町田駅伝(8km×5)1安部、2菅原()3吉田、4菅原()5田中)に参加しました。菅原さんはその年から個人戦も募るようになり、駅伝も含め年間20回以上、菅原さんと一緒に出場しています。同時に仲間は速く走るのを目標にしていて『城北おはよう会』の登録で駅伝に何度も出場するようになっていました。『城北おはよう会』は会費もなくときどきラジオ体操のラジオの電池費用の寄付を募る程度でほとんどが高齢者でした。そんな中、菅原さんと僕たち若い人たちががむしゃらに走っていたのが『城北おはよう会』でした。だんだん記録も良くなり駅伝も上位に入賞するようになり、公園にトロフイーなど飾ったりして高齢者の皆さんに報告をしていましたが『城北おはよう会』のメンバーの中にあまり良く思わない人がいて菅原さんに強く無くても良いというような話をされたようです。菅原さんはおはよう会にそんな嫌みを言われながら、ただ健康で走るなら走らなくても良いという思いもあったり、もっと強そうなクラブ名が欲しいこともあり『城北おはよう会』を卒業し『城北クラブ』を菅原さんが発足させ、田名部さん、(故)菅原義教さん、吉田さん、僕など数人が会員となり、早く走る思想を持ったマラソンクラブが歩み始めました。

1980春には城北クラブの発足が決まってすぐに第32回武相駅伝(1980.3.9)で優勝をしています。しかし、駅伝の申し込み時点ではまだ『城北おはよう会』だったので記録的には城北クラブではなくおはよう会となってしまったのは残念でした。

1980.4.20には城北クラブ発足記念ロードレース大会(朝霞警察往復)を開催しています。この時の菅原さんはまだ39歳です。会則も菅原さんが作成、1年後には公民館を借りて総会も行いました。第1回の総会は1981.4.19桜川出張所で行われ、年配者も適当にいて総会後は必ず懇親会があり、酒好きな人たちが多く大いに盛り上がっていました。この時、菅原さんはまだ40歳でした。

黒板に貼ってある賞状は駅伝の賞状で同じ大会で2チーム以上が賞に入っています。その当時はかなり強かったんですよ。田中さんと僕はAチームで出場していました。

(その当時、田中さんはゲスト選手でいつも駅伝に参加され、遅れてクラブに入会されています)

 

 

第76回葛飾区民ふれあい駅伝大会(2021年11月23日)

31位 Aチーム 1時間5521

1区 春本   20分5(31)(31)

2区 丸山    21分36秒 (29) (30)

3区 古市    2342秒 (29) (33)

4区 福島   29分25秒 (34) (42)

5区 矢古宇  19分39秒 (31) (23)

1区~5区:5キロ  

参加チーム(区外の部:45チーム)

 記録室

 第11回東京タワー階段競争

<12月12日>

☆男子30歳代の部

26位 岸場 3分2016

 

記録申請先:植松迄(tel090-8308-3034  mailuematsu42195@nifty.com

 

東京タワーを駆け上る岸場君

編集後記

 表紙の人(中村亮介君)

 中村君ももう40代後半ということで「城北クラブの永遠の若手」というのも苦しくはなってきましたが、若い人の入会が少ないため、もう少し永遠の若手でいて下さい。

 中村君は、私が入会したすぐあとに正式入会ではないけれど各種イベントに参加するようになったので同期入会のような関係で、初めてのバス旅行(芦ノ牧温泉)とか、富士北麓公園の24時間リレーマラソンなどにも一緒に参加したのが懐かしいです。(あの頃は、佐藤美希ちゃんと付き合っていると思っていました)

 中村君も遅くはなりましたが、未だにクラブ内ではAチームクラスの走力を保ってくれています。走歴的には長いのに未だに走れるのは、ソフトボールばかりやって、走りの練習を殆どしていなかったからだと思います。逆に言うと、練習をすればまだまだ記録も伸びるのでは?と思っています。

そこで言いたいのは、「目指せ城北クラブのMVP!」

期待しています。

 

 会報462号をお届けいたします。

昨年の流行語大賞は「リアル二刀流・ショータイム」、漢字1文字は「金」が選ばれました。メジャーリーグの大谷翔平選手の大活躍や東京オリンピックの日本人選手の金メダルラッシュが反映された形でしたが、それ以外はやはりコロナとの戦いに終えた一年だったと思います。東京五輪も開催に反対する人が多かったですが、もしも東京五輪が中止となっていたら、さらにメジャーリーグが開催されなかったら・・・と思うとゾッとしますね。本当に灰色の一年だったと思います。やはりスポーツの持つ力は大きいですね。

個人的には昨年1月に椎間板ヘルニアでまともに歩けなくなり、今までの人生で最悪の一年となってしまいました。今年は何としても回復させ皆さんと一緒に走れるようになりたいと思っています。

皆さんも大会が開催されずストレスがたまる一年だったと思いますが、安部会長が新年の挨拶で書かれているようにマラソン大会の開催も今年は増えてくると予想されます。自己ベスト、又は、シーズンベストを目指して頑張りましょう!

オミクロン株や年末から感染者数も微増傾向に転じたことも気になりますが、基本的な感染対策を継続し、今年も感染者ゼロで乗りきりたいですね。

皆さん、今年も宜しくお願いいたします!